20190422

おらおらおら、文章かきます。

 

二分法ってあるじゃないですか。数学の話ではなく分類の話です。

つまり特性Aをもっているか持っていないかで集団を分けるという単純明快な分類方法なんですけど。現実として二分法で分けられる問題ってのはほとんどねえんだな。地球における解像度はもっともっと細かいのです。じゃあなぜわざわざ二分するかっていうと、てか無限に分けられる中でなぜその最小単位を採択したかというと、分かりやすさと楽だから、そして騙せるから。

 

愛の話をしますね。二分法とは少し異なるんですけど似てるので。

橋本治さんは“癒着と無関係”

草野マサムネさんは“セックスと死”

村上春樹さんは“attachment and detachment”と表現しました。

上から順番に人間関係・作詞・物語に関する事なんですけど。これらの二分法はすべて同じことを言っていると思うぜ。人間が生きていくうえで、肉体的な孤立ゆえの魂の共鳴を求めているとするならば、それは結局AとBだ。っていうね。もちろん暴論なんですよ。暴論上等。でも究極的な場面で我々が求められるのは“癒着か無関係”のどちらかではないでしょうかね。

僕なりの言い方をすればその暴論は“愛か孤独”です。

これらは対概念ではないところが重要なんです。なぜ対でないのか、対でないならどういう関係なのか、なぜそれが重要なのかは自分の頭で考えろ。脳ミソ使え、捗るぞ。

 

ある種の考えがほかの考えとリンクする時ってあるじゃないですか。あ、みんな同じこといってんじゃん、って。人間的な真理なんじゃないか?って思うとき。あれ気持ちいいっすよね。そのためにはいろんな人のいろんなものに触れるの大切だと思うんすよ。本読めって話です。書を買いこめ、街には出るな。愛はどこいったんだよおい。

 

ぜんっぜん関係ない話します。最近あったかいね。おわり。