20190402

 私たち、もうおじさん/おばさんだよねーってこの時期よく聞くよね。

 今月で23歳なんだけど、たしかに18歳や19歳の人と共同生活してると「いやー、4年か」と思わないでもない。老いたとは思わないが、年をとったとは思う。4年分、きっちり。

 老いるってなんだろうね。僕は得るものよりも失うものの方が増えたら老いたと言っていいと思う。そうすると、でも、老いること自体は大したことではない。その取得と喪失の問題なのだと思う。

 仕事、所得、時間、人間関係、体の自由。

 上のものたちを例にとると、なにかを得るということはそれを必ず失うということになる。これは詩的な意味ではなくて単なる事実として。どう失うか。それが問題なのだ。状況や他社や社会に奪われるのか、自分で手放すのか。

 

 石原吉郎さんというシベリア抑留を体験した詩人の詩の一節にこういうものがある。

詩がおれを書きすてる日が

かならずある

おぼえておけ

いちじくがいちじくの枝にみのり

おれがただ

おれにみのりつぐ日のことだ

 私から私にバトンをパスしなければならない。生きた私から、死ぬ私へ。

 いつかね。