20190403
あっあっ日記書くの忘れてた。
覚書みたいに最近気になったこと書いときます。
写真や文章のパラフィクション性みたいなの気になる。前者はルフの巨大なポートレート、後者は佐々木敦の「あなたは今、この文章を読んでいる」という文章。
パラフィクション性ってのは人口に膾炙してるメタフィクション性っていう概念の子供みたいなもので、つまりメタフィクションがフィクションの形而上を扱うのだとすれば、パラフィクションはフィクションとメタフィクションを合わせた、つまりフィクション界隈に対する形而上を扱ってるようなものなのかな。
「あなたは今、この文章を読んでいる」っていうのは読者の存在によってはじめてテクスト化されるのであって、従来のテクストが意味を生み出すということではなく、テクストを読んでいる「私」が能動的に意味を生み出していくということを意味する。
なんだけど、なぜこのパラフィクション性に惹かれるのかいまいちピンとこない。
けどいつも僕を興奮させるのは僕の内側には存在しなかったものだもんね。理解できるものに興味はないし説明されつくしたものに涎を垂らすことはない。「分からない」ただその一点で人生すすめて行きたいよね。
結局人生の話にするの卑怯だからやめて。