20190831

8月も一日一句詠みました。

あ、俳句の季刊誌『鬣』の秋号にも第一席に選ばれました。嬉しい。

あと主宰者の方から「新人の欄に投稿するのやめて『鬣』の同人にならない?」と誘われ、光栄なことだけどまだ句への態度も文芸への態度も己への態度も決まらないままでは失礼だと思って一旦断りました。また気が向いたら(来年度以降)受けるかもしれませんね。

 

8月

君の名を冠す果実を砕く奥歯
風に避けられて発汗する適切さ
鳥も歩く 翼では行けない場所へ
常にねむいけものとして生きのびる
母国語と母語 きらきらと文字眩しい
空欄を埋める 分断かかってこい
伸びすぎた爪 まっすぐに引けない線
追ってた 風と 入れ替わって るんだった
日に一度、凪ぐ海 ここに全てはない
脅されて豆腐百回噛む法事
人工呼吸みたいなキスはしない初夏
角にもできるオクラをあえて牙にする
風として生まれ光になりたい風
遺体のない葬式 椿落花時期
私という破片を集めて過ぎた時代
病む 貝の異物が真珠にならなかった朝
水をみずみずしいと言う人の隣
欠ければ全て充ちるための過程然
隙間だらけの詩だってうめる私たち
自分の部屋ないまま育ち夜を知らない
種子のない果実 貪るけものたち
傷口の景色 金継 塩断つ孔子
くずのでないパン 下に敷く皿、無傷
澱、そこにあって触れないのに熱い
犬にシャツ 僕も言葉を持て余す
種子のない果実 人が滅べば滅ぶ
髪の毛を固結びされ気付けない
僕と母音だけが同じ母の夢見
りんごの味だけが思い出せない
神の名として咲く花 散らば散れ
鳥瞰図 大衆は絶望しない 

20190731

毎日一句詠んでる

俳句の性質も徐々に分かってきた。

とりあえず年度末まで毎日一句詠む。

 

1迷っても迷っても道ある苦難
2日焼けで隠れる傷痕 夏の間
3火でも沸く、電気でも沸く水 無傷
4重力も摩擦もない 実も実らない
5逃げ水を追って 確かな財政難
6白いババロア 花とよんでもいいならば
7辞書割いて書く詩 laughter in the dark
8掴むたび 離れていくものたちの旅程
9駅と駅の間を歩く ここだって町
10圧縮と解凍 破損ファイル多数
11きれぎれと光繰り返して灯台
12流れかれやがて川の名奪われる
13「永遠」を「氷遠」と書く水夫の手
14血圧の低いキリンここでは飼えない
15名詞世界 安全だか求めた場所でない
16君の淵に立つ鳥 そこから君以外
17ふと立つ棒 かつて木と呼ばれてたこと
18明るくて見えない 闇でこそ目をひらく
19鬣も角もない獣が書く詩
20自分さえ重い パーカー乾かない
21文字ってうねりじゃん 海だったのかもね
22絶やされた火の跡をみた日の骨接
23水でみたすための器でない体
24造花に蝶がとまるか賭けてみる
25海に降る雪 主語のない告白文
26ふかされたpeace もやいはまだとけない
27制服のまま寝る 寒天は影も透明
28結末を知ってても観る映画の柔さ
29体に窪みありつつ寝る 汽水域
30文字を持たない虎一頭走る 心を
31光らしてみたが正解かわからぬ夜

20190626

俳句の季刊誌『鬣』に僕の俳句が載った。

 

 

三の倍数の月に8句選んで(スマホのメモ帳に俳句がずらっと並んでる)、インターネットのフォームで送る。2018年の12月から送り始めたので3回目だったものが投稿者の中で一番良かったらしく(一番良かった?)今回は7句載った。送った句は毎回コピペでほかのページに移している。そのメモによると、今回載らなかった句は「『欲求』が空欄 保体のテスト」。

一体、なぜこの句だけのけものにされたのか良くわからないが、(「iphoneを撫でて今夜の月明かり」のほうがよっぽどひどい句だと思う、僕自身この句の意味はわからない、なぜならandoroidユーザーだから)、僕はこの句が結構好きだ。

マズローの五段階欲求のことを思いながら詠んだ。中学の保体のテストで覚えているのがそれくらいしかなかったからかも。「欲求」が空欄になってはいなかったと思う。むしろ「社会的」や「自己実現」が空欄だったのかもしれない。だけど、中学の保体のテストを思い出すとき、僕の記憶の中ではたしかに「欲求」が空欄になっているのだ。すべてに当てはまる漢字二字を答えなさい。欲求。みたいな。あの血なまぐさくて透明な欲求だらけだった時分に答えるべき「欲求」が空欄であることのフォトジェニックな様子を読みたくて記憶を改ざんしているのかもしれないね。まーそこらへんはあんまり気にしない派なんですけども。すべてはフィクションなので。

 

20190507

文章書くのサボってんじゃねーぞ?書くぞおら。読めよおら。

 

入力と出力の話しますね。

なんかパソコンのファンってあるじゃないですか。冷却装置。あれってもちろん電力で回してるわけですけど、掃除とかする時にファンを回しちゃうと逆に電力が発生しちゃってショートするというかパソコンに悪いらしいんすよ。電気で回ってたファンは電気供給がなくとも回せば微弱な電力発生するらしいっす。おもろ。入力と出力が逆転するんすね。

なんかこれすっげー人間っぽいなって思って、直情的に「人間ぽいっすね」っていったら、あ、人と話してる最中の話です。「は? 人間の糞尿は食べ物にもどらねーだろ」って言われたんですけど、そういうわけでは……そういうわけでは……となってうまい例もでなかったのでその場では「いや、いいっす、僕の間違いっす、人間っぽくないっす」っていったんですけど、この入力と出力が逆転するのめっちゃ人間っぽいでしょと思い直したのでブログに書いときます。

 

まず、そんな物理的生物的な話で入力と出力が逆転するわけないでしょ。私は人間的な話をしてるです!!怒るよ!!怒らないです。生きてて怒ったことないです。

例えを出します。ある絵描きAがいるとして、彼が描いた絵に感銘を受けて絵を描き始めた絵描きBもいるとします。まず、これが入力と出力の関係です。そして同じように、絵描きBに感銘を受けて絵を描き始めた絵描きCもいるとします。これも入力と出力の関係ですね。あれ、絵描きBって最初は出力だったのにいつのまにか入力になってね?

いや、もちろんメカニック的にはそれはおかしいだろって言えますね。絵描きAと絵描きCって別人ですし。だけど、私はそういう意味で「人間っぽいね」って言ったわけじゃないんだな~。合同を感じたわけじゃありません、相似を感じたんです。まあこの人間の単純な影響関係がなにに相似してるとか正直どうでもいいんですが。

突然だけど、なんで生きてる?

いろいろ大変だけどさ、少しは勉強して、過去から現在へ連綿と続く時代があるって気づいたわけよ。人間時代?っつーの?があるじゃん。 なんか響きが馬鹿だな。

あんたらがやってきたなら、俺もやるぜ。

正直、この精神だけじゃない? なんで生きてるかって。俺はそうだよ。君はどう?

佐々木中さんっていう京都の大学で哲学教えてる先生がいるんですけど、彼が著作の中でこういったこと言ってるんですよ。

文学は死んだ? いつの時代でもそういうこと言ってるやついるよ。お前らが死んだって言っても書くしかないんだよ。本を読んでしまってそれを読み解こうとしたら、もう書くしかないんだよ。読んで読み直して、書いて書き直すことしかできない。今まで世界中でそうされてきたように。

あー。佐々木中さん好き。『切り取れ、あの祈る手を』読んでください。ほかにもいろいろ面白いこと書いてあるんで。

人と人の間にある関係が行動を介して伝播していくの素敵すぎる。ああ、人間の豊穣さよ。中村佳穂さんも「生きてるだけで君が好きさ」って言うてはります。しがんでもしがんでも味する。スルメかよ。人間はスルメではないのでしがまないでください。

 

なんの話してた? 令和になったって話だっけ? おめでとう。高浜虚子っつーすげえ俳人の句を引用します。

去年今年貫く棒の如きもの

 終わり。

20190428

地上一寸の話しようかな。地上一寸の話しますね。

「地上一寸の生」っていう言葉が禅の世界にはあるらしいけど詳しく知らないのでスルーします。いや完全にスルーというわけじゃないんだけど。禅僧がいたら教えて。

 

上田三四二さんって俳人がいました。平成元年に亡くなっておられるので彼の話をするのもなんとなく縁があるようでいいじゃないっすか、ね。

京都帝大医学部をでて医者として一生を送りつつ、精力的に創作に努めた方であります。めちゃくちゃ賞とってる。すごいよね。

彼曰く、短歌や俳句は日本語の底荷であるそうです。底荷ってのは船の底に積むおもりのようなもので、これで船が安定して運航できるのです。うん、素晴らしい表現。

かんけーないけど底荷を意味するballastっていう英単語、過去の京大入試に出てきたよね。覚えてねーなら別にいいっす。

そして上田三四二さんは歌とは浄念であるともいいました。歌とは愛であるとも。

 

西行という平安末期くらいに名を馳せた人がいます。俺と同じ年くらいまで武士として生き、その後は出家して各地を転々としつつ歌を作った人です。上田三四二さんは彼の歌をこう表します。「地上一寸」

 

肉体はこの地から離れることができないけれども、魂は天を目指している。その相克の発露こそが地上から一寸、つまり約3cm肉体を浮かせる力を生むっていってんです。もちろん比喩です。体は浮きません。跳びますが。

 

この「地上一寸」って言葉、高校の時に知って以来ずっと頭から離れないものの一つなんですよ。肉体と魂の関係を言ったものでもあるし、創作の心得みたいなものでもあるし。概念的な言葉であらわすならば「両義性」ですよね。もしくは弁証法止揚。肉体と魂の美しい結合。精神的肉体、肉体的精神を持つことが大事じゃないんすかね。

ちなみに上田三四二をして「地上一尺」なる歌を詠む人がいるらしいです。明恵っていう坊さんなんですけど、まじで何者やねん。

 

えーっと、ここで前回の二項対立の話にもどるわけですが、その前にYUKIさんの話しますね。知ってます? YUKIさん。

JUDY AND MARYのボーカルっすね。キュートな歌声で人々を魅了しました。雑紹介。彼女がそのバンド名を紹介してる動画があるんでみてください。

簡単に説明すっと

JUDYが快活な女の子

MARYがマリファナスラング

を意味すんだってさ。超クールじゃん。韻ふんでるしね。んで要はポジティブ アンド ネガティブじゃん?っていってるわけ、YUKIちゃんは。この時23歳くらいらしいよ。かわいいね。

でもそう単純に割り切れないよね、ポジの中にはネガが、ネガの中にはポジがあるやん。とも言ってる。これ観て「脱構築じゃん」ってなった人けっこういんじゃない。いねーか。

 

脱構築がなんつーかっていうと、調べて。簡単に言うと(簡単にいうな、ジャック・デリダに怒られっぞ)今まで二項対立的に扱ってきたものって白と黒みたいに完全に相いれない存在としてあつかってきたけどさ、それって間違いじゃね?っていう感じかな。卑近な例をだすと、男と女ってまるで真逆の存在みたいに扱われてきたけどさ、別にそうじゃないじゃんね、みたいな。

中国の太極図ってあるじゃん。円が白黒の勾玉で分かれてるやつ。あれさ、白には黒の、黒には白の小さな円が混じってるやん。脱構築はそういうことよ。ある独立した要素というものは存在しません、つまりそんな空想の存在を前提としてる二項対立は間違いだったね、残念。もっと柔軟な考え方しようぜ。っていうかお前らのその固定観念に縛られて作られてきた体制とかすべてミスってんじゃね?ヤバ っていう。

YUKIちゃん、あんた脱構築してんで。かわいい顔して脱構築してんで、っていう。

そうだそうだ、前回の話ね。俺さ、究極的な判断ではどちらかを頼るしかなくねって言ったけどさ、それは究極の判断であって生活ではありません。生活は両者の緩やかね結合を図ることです。もしくはバランスを保つことです。んなこと知ってるって? あんたほんとすげーよ。

 

えーとえーとなんの話してたんだっけ。

犬はかわいいって話ですか?そうですか

犬は安全な動物です。

触る。ええわ。

抱く、なおええわ。

20190422

おらおらおら、文章かきます。

 

二分法ってあるじゃないですか。数学の話ではなく分類の話です。

つまり特性Aをもっているか持っていないかで集団を分けるという単純明快な分類方法なんですけど。現実として二分法で分けられる問題ってのはほとんどねえんだな。地球における解像度はもっともっと細かいのです。じゃあなぜわざわざ二分するかっていうと、てか無限に分けられる中でなぜその最小単位を採択したかというと、分かりやすさと楽だから、そして騙せるから。

 

愛の話をしますね。二分法とは少し異なるんですけど似てるので。

橋本治さんは“癒着と無関係”

草野マサムネさんは“セックスと死”

村上春樹さんは“attachment and detachment”と表現しました。

上から順番に人間関係・作詞・物語に関する事なんですけど。これらの二分法はすべて同じことを言っていると思うぜ。人間が生きていくうえで、肉体的な孤立ゆえの魂の共鳴を求めているとするならば、それは結局AとBだ。っていうね。もちろん暴論なんですよ。暴論上等。でも究極的な場面で我々が求められるのは“癒着か無関係”のどちらかではないでしょうかね。

僕なりの言い方をすればその暴論は“愛か孤独”です。

これらは対概念ではないところが重要なんです。なぜ対でないのか、対でないならどういう関係なのか、なぜそれが重要なのかは自分の頭で考えろ。脳ミソ使え、捗るぞ。

 

ある種の考えがほかの考えとリンクする時ってあるじゃないですか。あ、みんな同じこといってんじゃん、って。人間的な真理なんじゃないか?って思うとき。あれ気持ちいいっすよね。そのためにはいろんな人のいろんなものに触れるの大切だと思うんすよ。本読めって話です。書を買いこめ、街には出るな。愛はどこいったんだよおい。

 

ぜんっぜん関係ない話します。最近あったかいね。おわり。

 

 

20190417

誕生日やないかコラ。同じ誕生日の高見沢さん、65歳です。年金受給者です。なんつードライブ感で生きてんだよあの人。

燃えたノートルダム大聖堂の再建にかんして思ってることいくつかあるけどまだまとまってないので書きません。めっちゃくちゃ複雑な気分なんですよ。なぜって宗教と政治と民衆がぐっちゃぐちゃに絡み合ってるというか溶け合ってるからですかね。とりあえず、燃え落ちた姿が美しいとか言ってる人はそれで何か言った気になってるの? って思うよ。てめーの美学くらいてめーで決めろやボケ。別に怒ってるわけじゃないんですけど、それっていわゆる退廃というか腐敗じゃね。

 

あーあとなんだ。なんかさ、人の悪口言うのってもちろんよくないよ。よくないけどさ、別にいいんだよ。いや、何言ってるかわからねーと思うがって感じだけどさ。別にエンタメにしなきゃいいと思うんだよ。その人がある人を本当の意味で陥れようとして悪口をいったとしたらこちらも決然と立ち向かってぼこぼこにバイオレンス展開すればいいじゃん。もちろんそれもろ刃の剣だし呪いだと思うし推奨なんてしないけどさ。だけどそうやってかかった呪いは必ず解くことができるよ。てか俺が解いてやるよ。人を呪わば穴二つじゃないけどさ、てめーとあいつが穴に入って死んでたら俺が掘り返して二人とも火葬してやるしその煙みてやるけどさ、多で悪口いって、その状況自体をエンタメ化してさ、べつに対して重要なことだと思ってないけど浅はかな同情だとかその場限りの道化として扱うのやめたほうがよくね? それお前の心の森枯れね? あの、言葉で人って死にますからね。そして言葉を消費するってことは時間を消費するってことだし、当の消費されている人生はあなたのものですよ。そんなに暇っすか。そうっすか。別にいいんすよ。俺だってそんなに頭よくねーし、道徳だとか倫理だとか正直完全に搭載されてるわけじゃないし。でも確かに言えることって、誰かがいうであろうことだとか誰かが言ってることを反復的に自己満足的に模倣したり剽窃したりすることって、ダメっすよ。それダメっす。0点っす。なぜって?

今が2019年だからです。